園だより


『縦割りクラス』


モンテッソーリは子どもの成長を援助するために必要な事として、
環境を整えるという事の重要性を述べていますが、縦割りクラスという事も重要な条件の一つです。
そのため本園では3、4、5才児で1クラスを構成する縦割りクラス(異年齢クラス)を取り入れています。
クラスの中で本を読む時などは、体の大きさや、内容の理解度等を考慮して、
教師に近いところに年少、その後ろに年中、年少・年中を囲むように年長が座るという配慮を行います。
その体制を子どもたちが整えた所で本を読み始めます。
あるクラスであったほほえましい事実をご紹介しながら、この縦割りクラスであることの意味は一体どのようなところにあるのか、その意味を考えてみたいと思います。
ある日、教師が本を読んであげようとした時のことです。
そのクラスの昨年度から在籍していた子どもたちは、スムーズに自分の座るべき所に座りました。
しかし、今年度入園したばかりの年中のTちゃんは、「ボク、何処に座ればいいの」と 困惑してしまいました。
隣同士で座っていた昨年度からいた年中のM君とIちゃんは、その声を聞いた瞬間、何も言わずに互いが左右に離れ、Tちゃんの座る空間を作ってあげたのです。
うれしい話としてこのクラスの担任は、職員の皆に伝えました。
「昨年一年間M君とIちゃんは、縦割りクラスの中で年長さんや年中さんにやさしくお世話してもらったのですね。その事が、今日の様に困っているTちゃんの言葉を聞いただけで、何を自分がすべきかを判断できるおもいやりのある人柄を創ったのですね」
私たち教師は、環境作ることの大切さを頭の中で理解してはいますが、
このような日々の保育中で起きる現実の子どもたちの高度な人間性を見せられた時、言葉では表せない感動を覚えると同時に、人的環境の重要性に改めて深く気づく事が出来ます。
少し先に経験したことを、知らない人に教えてあげる事、出来ないところを手伝ってあげる事。
そこには互いに尊敬と感謝という心が生まれます。
人間社会は当然縦割りの社会です。
幼いときからこのような環境で思いやりの心を育てていったならば、大きくなった時も自然に助けたり助けられたりという、スムーズな人間関係を築いていく事が出来るでしょう。
大人から言われればいやな事でも、同じ子ども同士の言葉は、自然に子どもの心に伝わる事があります。
また、(○○ちゃんができる事私だって出来る!)という子どもが見本になる事で、目的が伝わりやすい事もあります。
このような事は兄弟が多い家庭の中で日常茶飯事起きていた事ですが、昨今は兄弟の数も少なくなり、家庭の中で切磋琢磨する機会もなかなかなくなりました。
ですから縦割りクラスの年長さんは、家庭の中の、お兄さんお姉さんの役割を示してくれます。
「素敵な大人になりたい」という強い欲求が子どもにはありますが、
それはお仕事を通して人格を創られていくという物的環境の中で育つ部分だけではなく、
教師・友だちという人的環境の中から吸収しているという事をこのエピソードは物語っています。
縦割りクラスという環境が子どもの成長にとって必要な要素である事を再認識する機会ともなりました。
モンテッソーリは言います。「子どもに学ぶ」と。
忘れてはならないのが、その事実に気づく大人の存在です。
子どもの成長を見逃さずに、機会を捉えてその成長を認める目を養う事が肝心です。
子どもの心という目に見えない成長こそしっかりとらえて行きたいものですね。

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